草履打

嫗　山　姥（こもちやまんば）

［解　　説］正徳二年（一七一二）大坂竹本座初演、近松門左衛門作の時代物で、現在ではこの二段目「兼冬館廓噺の段」のみが上演される。源頼光と右大将高藤の抗争に、頼光四天王の一人坂田金時（幼名金太郎）の出生をからませ、当時の歌舞伎の人気女形であった荻野八重桐の「しゃべり」芸を趣向として取り入れたもの。

［これまで］坂田時行は遊女八重桐と馴染んだ挙句に勘当されるが、父親は物部平太に討たれる。時行は父の敵を討つまで八重桐と別れ、敵の行方を追う。時行の妹糸萩が父の敵を討ち、頼光は糸萩を匿ったため右大将高藤の讒言によって失脚し、行方不明となる。

［あらすじ］頼光の許嫁沢瀉姫は悲嘆に暮れ、気慰めに煙草売りに身をやつした時行が呼び入れられる。時行の弾く三味線の音色をたまたま通りかかって耳にした八重桐は、傾城の祐筆を名乗って館に入り込む。八重桐から妹が敵を討ったことを聞かされ辱められた時行は自害するが、最期の一念によって八重桐は身ごもり、さらに神通力を得て沢瀉姫を奪いに来た右大将の配下を撃退し、いずこともなく飛び去る。

廓噺（くるわばなし）の段

松浦潟（まつらがた）領巾（ひれ）振る山の石よりも、積もる思ひは猶重き岩倉の大納言兼冬公の御娘、沢瀉（おもだか）姫と申せしは、源の頼光と御縁辺の契約も、互ひに待てば久方の、月日重なり年も経ち、情盛りも徒（いたずら）に、右大将高藤が讒言（ざんげん）故、頼光は行方（ゆきがた）なく、御文の音信（おとずれ）さへ枯野に弱る秋の虫。世に頼りなき憂き節に、『もし御短慮の事もや』と、御寝間の奉行寝ずの番。女中の外（ほか）は男交ぜずの大役は、女護（にょうご）の島に異ならず。お局の藤浪、御傍に立寄り、「コレここなお子、なぜに浮き浮きなされませぬ。これ程大勢集まって、浮世咄の高笑ひも、皆お前を勇めの為。お患ひでも出た時は親御様への御不孝。日頃のお気には似合ひませぬ」と諌め

られても勇まぬ顔。「アヽ又、局の気づまりな意見聞きたふない。日本国の花紅葉を今この庭に移しても、何の心が勇まふぞ。吉日極り頼光様へ嫁入りして、今頃はお腹に帯をも結ぶ筈を、あの右大将づらめに妨げられ、剩（あまつさ）へお行方知れず。どこを当途（あてど）に一筆の、問はせの文さへ長枕。この長の夜を誰と寝よ。おりゃ泣くまいと思へども、涙がどふも堪忍せぬ。堪へてたも」とはらはらと、玉を貫く御目元。妼（こしもと）茶の間仲居まで、『お道理様や』と諸共に、貰ひ涙に暮れければ、お局は気の毒がり、「アヽ何ぞいの。お力は付けもせで、そなた衆までめろめろと忌々しい、置いてたも。ヤ、それはそふと煙草売の源七はまだ見へぬか。気さく者の通り者。今にも来たら、お姫様まじくらに、迎ひ鬼して遊ぶまいか」「こりゃ気の変はった思ひ付き。早ふ煙草が来たれかし。煙草煙草」と待宵の、松葉煙草の和らこき女中仲間ぞ賑はしき。

昔は色に登り詰め、今は浮世に下り坂田の時行と、埋づもれし名も父の仇、晴らさんと思ふ志。飽かぬ夫婦の仲をさへ、三下（くだ）り半の生き別れ。袖は涙の革行李（かわごり）を、今は身過ぎと引き担（かた）げ、「刻み煙草、油引かず」と売り歩（あり）く。「そりゃ、煙草が来たは」と妼（こしもと）中、「早ふ早ふ」と呼び入れ、「コレコレ源七、先づこの革籠（かわご）は預かる。尻からげも下ろしゃいの。お姫様より御意がある。そなたも以前は歴々で、悪性故に仕損ひ、その形（なり）になりゃったげな。傾城とやら廓とやら、大内には珍しき三味線の一曲を常々のお望故、コレ、三味線も調へ置く。サアサア所望」とありければ、「アヽつがもない。尤も以前は傾城の一つ買ひも仕り、三味線胡弓浄瑠璃文作（もんさく）

のら一巻（いちまき）の諸芸なら、こっちへ任せておく座敷に、吉野の山の連弾きも昨日の昔、今日は又吉野煙草の刻み売り。股引がけで三味線とは、茶漬けに鯷（ひしこ）の御望み。ひらさら御免」と逃げ出づるを、女房達引き留めて、「ソレソレ、その言ひ様がもふ面白い。何を言ふもお気慰め。ひらに頼む」と強ひられ、源七下地好きの道。「ヤ、てんぽの皮やりませふ」と、箱より出だす三味線の、糸は昔に変はらねど、弾くその主（ぬし）のなれの果て。親のばち駒かみ駒の、音色優しく弾きなせり。

紙子の袖に置く露と、倶に離れし妹背の仲。哀れ昔は全盛の松の位も冬枯れし風呂敷包み行先は、知らぬ旅路にとぼとぼと、築地の陰に休らへば、「ヤア珍しい三味線。何ぼ大内方でも、洒落の」浮世に廻り来る、車寄せより立ち聞けば、「ハアヽ不思議やあの小歌は、我が身廓にありし時、坂田の蔵人時行殿に馴れ初め、作り出だせし替へ唱歌。彼の人ならで誰が伝へた懐かしや。どふぞ入り込み、見たいものじゃ」と、出放題に声張り上げ、「サアサア、これは浪速（なにわ）の遊女町に誰知らぬ者もない傾城の祐筆。濡れ一通りの状文なら、恐らく私が一筆で、叶はぬ恋もかな書き筆。ひらりしゃらりとかすり墨。生娘遊女妾（てかけ）者、後家尼人の女房まで、段々の書き分けは、私が家の伝授事。もしそんな御用ならお頼みあれ」とぞ言ひ入れたる。奥には女中耳をすまし、「さっても変はった売物。イザ呼び入れて、痴話文書かせてお慰み。更科、歌門、呼んでおじゃ」「あい」と答へて、二人連れにて走り出で、「コレなふ傾城の祐筆殿はこなたか。この御殿の姫君、何やらそもじに御用あり。こなたへいざ」と手を取れば、「ハア御用とは何ならん。お目もじ様に」と夕顔の、庭の飛石すなすなすな、ちょこちょこちょこと奥座敷へ、何の遠慮もなみゐたる、内裏女臈に場打てせぬ、いづれそれ者（しゃ）と見へにけり。煙草売の源七も何心なく傍近く、顔ち顔とを見合はすれば、「ヤア、離別せし女房。南無三宝」と小隠れの、女はそれとみづ臭き「男畜生人でなし。赤恥かゝせてのけふか」と、飛立胸も人目の関。押し鎮め押し鎮め、心を砕き折々に尻目に睨むも恋なれや。

姫君何の気も付かず、「これなふ紙子。そなたの物腰褄外れ、いか様常の女子（おなご）でなし。そふした形（なり）になりゃったは、定めし深いわけあらん。一河の流れも他生の縁。包まず語りゃ」とありければ、「アヽどなたかは、お優しいお詞。お尋ねなくとも、言ひたふて言ひたふて胸のたぐる折しも。さらばお咄し申しませふ。恥づかしながら私が昔は、うき河竹の傾城。荻野屋の八重桐とて、太夫仲間の立者言はれし程の全盛の、末も遂げぬ仇恋に、上り詰めてこの通り。夜な夜な変はる大尽の、中にも坂田の何某（なにがし）とて、水揚げの初日よりふと逢ひ初めて丸三年。何が互ひの浮気壮り、のぼる程にのぼる程に、忉利天の中二階、夜昼なしの床入りに、掛鯛様と異名を請け、水も洩らさぬ仲なりしに、又同じ廓に小田巻といふ太夫、彼の男に行き付いて、毎日百通弐百通、書きも書いたり痴話文は、大方馬に七駄半。船に積んだら千石船。車に乗せたらゑいやらさ、木遣りでも音頭でも、祈っても呪（まじな）ふても、微塵気（け）もない二人が仲、いよいよ募って逢ふ程に、小田巻大きに腹を立て、アヽ忘れもせぬ八月の、十八日の雨上り。月は山より朧染めの襠（うちかけ）ひらりと取って捨て、白無垢一つに引っしごき脛（はぎ）も露はに駆け来たり、私が膝にふうはりとんと居かゝって、『コレ八重桐、余り見られぬ嫌じゃぞや。サア男をたもるかたもらぬか。嫌か応か、応か嫌か、二つに一つの返答が聞きたい』と胸づくしを引っ掴む。こっちも一期の大事ぞと弱みを見せず、『こりゃ、小田巻とやら、くだ巻とやら。光は喰はぬ出直しゃ。この広い日本に、あの人ならで男はないか。よし、ないにせよ、あるにせよ、それ程床しい男なら、なぜに先（せん）に惚れなんだ。男盗人生（いき）傾城』と、言ひ様取って投げ付くれば、明かり障子打ち破り、継三味線を踏み砕き、縁より下へころころころと、這柏槇（はいびゃくしん）まで転（こ）けかゝり、木斛（もっこく）南天、めっきりめっきり切石の上へ真伏向（うつむけ）。鼻血は一石六斗三升五合五勺。『そりゃこそ喧嘩が始まった。大事のこっちの太夫様に、引けを付けては叶ふまい。加勢をやれ』と言ふ程に、遣り手引船仲居飯焚、出入りの座頭按摩取、巫女山伏に占屋算（うらやさん）。雪踏（せった）片足（かたし）に下駄片足（かたし）、草履（わらんず）がけで来るもあり。台所から座敷まで『太夫様の仕返し』と、あそこでは叩き合ひ、ここでは打（ぶ）ち合ひ踊り合ひ、茶棚竈（へっつい）煙草盆、当たる物を幸ひに、打ちめぐ打ち割る踏み砕く。めりめりぴしゃりと鳴る音に、『そりゃ地震よ雷よ。世直ししくはばらくはばら』と、我先にと逃げ様に、水担桶（たご）盥（たらい）に転けかゝり、座敷も庭も水だらけになる程に、『南無三、津波が打って来るは。なふ悲しや』と喚くやら。秘蔵の子猫を馬程な、鼠が咥へて駆け出すやら。屋根では鼬（いたち）が踊るやら。神武以来の悋気闘争（いさかい）。この事世上に隠れなく、彼の男はその場より、親御様の勘当受け、我が身も廓を夜抜けして、根本（こんぽん）恋路の浮名取る、鍋の蓋取る杓子取る、馴れぬ世帯のその日過ぎ。男め故でござんする。アヽ余り喋って息切れた。コレ、お茶一つ下さんせ」とぞ語りける。

姫君を始め妼（こしもと）衆、『さて心中の女郎や。譬へいかなる身になっても、思ふ男と添ふからは面白からふ』と宣（のたま）へば、「されば、末を聞いて下さんせ。その男の爺（てて）親が闇討ちに討たれ、敵（かたき）討たねば叶はぬと、私とは縁を切り、行衛（ゆくえ）もなふ別れて、親の敵（かたき）を狙ふとは、跡かたもない赤嘘。我が身に秋風立ちけれども、何をしほに退（の）かれもせず、親御様の死なしゃんしたを究竟（くっきょう）一の託（かこつ）けに、敵討ちとの口上は釈迦でも一杯参る事。まんまと私を謀（たばか）り女房には紙子を着せ、その身はちゃんと栄耀らしい。若い女中に立ち交じり、三味線弾いて居けつかり、くさりくさるを見る様な、日本国の姫御前（ごぜ）の、因果を一つに固めても我が身には及ぶまい。初対面の皆様へ、ありし昔の懺悔咄。お恥づかしや」とばかりにて、おろおろ涙に暮れければ、「ヲヽ道理道理。身にかゝらぬこちとさへ、煙たふて堪られぬ。さりながら、構へて短気な心を持ちゃんなや。まだ咄したい事もあり、奥へ通せ」と姫君は御簾の内に入り給へば、「サア苦しうない奥へおじゃ。こちへこちへ」と人々は、皆々一間に入り給ふ。

跡見送って八重桐、「さらば奥へ参って、憎さも憎し男の懺悔言ふて退（の）けふ」と入らんとするを、時行取って引き戻し、はったと睨（ね）め、「ヱヽ遉（さすが）は流れの女じゃな。親の敵（かたき）を討つまでと、相対づくの離別ならずや。只今の詞は誰に言ふ当て事。未だ敵（かたき）の行衛（ゆくえ）は知れず、心を砕く夫の体（てい）、哀れとも思はず己が栄耀に引き当てて面白そふな仇口。ヱヽ恨めしや」とばかりにて、無念涙に暮れければ、「あのまがまがしい顔わいの。親の敵（かたき）は幾人（いくたり）あるぞ。こなたの妹御、糸萩殿とやらんが先月廿（にじゅう）三日、小夜の中山で討ち給ふ、物部の平太は敵（かたき）ではないかいの」時行『はっ』と驚き、「何、妹が敵（かたき）平太を討ったるとは、必定（ひつじょう）か」「サア、定（じょう）か誠か。碓井の荒童といふ人を機関（かたら）ひ、易々と討って、源の頼光様を頼み駆け込みしとは、日本に隠れない。忝くも頼光様、妹御を匿ひ給ふ遺恨に寄って、敵（かたき）の主人衛門督（えもんのかみ）平の政盛、清原の右大将と心を合はせ頼光様を讒奏（ざんそう）し、勅勘の身となり給ふ。これ程大きな騒動を、今まで知らぬとは、狼狽（うろたえ）者の浮名を世間へ触れふといふ事か。ヱヽ疎（おと）ましい、世に連れて心までが腐ったか」と、縋り付いて泣きければ、時行突っ立ち、「さては、敵（かたき）故頼光の御難儀となったるとや。妹に先（せん）越され親の敵（かたき）は討たずとも、政盛右大将は敵（かたき）の敵（かたき）なり。イデ、二人（ににん）が首取って頼光の御恩報じ、名字の恥を雪がん」と踊り出づるを引き止め、「それそれそれ、それは悉皆（しっかい）気違ひか。討つに討たるゝ程ならば、頼光様に油断があらふか。彼等は威勢真最中。討たれぬ仔細があればこそ、日影の御身となり給ふ。こなたが今駆け出して心安ふ首取らふとは、重ねて恥がかきたいか。こなたが今まで徒（いたずら）で娘をころりと落としたと、首をころりと落とすとは雲泥万里」と恥ぢしむる。時行道理にせめられて、行きつ戻っつ歯がみをなし、拳を握り立ったりしが、『もふこの上は分別なし』と革籠（かわご）の中（うち）より氷り様なる鎧通し追っ取って、腹にぐっと突立つる。女房『これは狂気か』と縋り付けば、「アヽ音高し音高し。おことが今の悪言は、伍子胥（ごししょ）が呉王を諌めたる金言より猶重し。恐らくこの念、項羽（こうう）紀信（きしん）が勇気にも劣るまじと思へども、時来たらねば力なし。それまでまだまだ永らへ、臆病者腰抜けと指差されんは無念の上の無念なり。我死して三日が内、御身が胎内に苦しみあらば、我が魂宿りしと心得、十月（とつき）を待って誕生せよ。神変稀代（きたい）の勇力の男子となって今一度（ひとたび）人界（にんがい）に生まれ出で、政盛右大将を亡ぼさん。おことが身も今日より常の女に事変はり、飛行（ひぎょう）通力あるべきぞや。深山深谷（しんこく）を住家とし、生まるゝ子を養育せよ。さらばさらば」と諸共に、剣（つるぎ）を抜けば、紅（くれない）の血は夕立を争ひし、最期の念ぞ凄まじき。あら不思議や切口より、炎の塊（まろがせ）女房が口に入れば『うん』とばかり、そのまゝ息は絶へてげり。

かゝる所へ若侍五六十、無二無三に群がって館の四方を追っ取り巻は、「ヤアヤア兼冬。右大将高藤公より汝が姫を召さるれども、頼光と縁組とて承引なき条憚り千万。それによって、『姫を引っ立て来たるべし』との御使ひ。乱れ入って奪ひ取れ」と喚（おめ）き叫ぶその声に、伏したる女むっくと起き、表に立ったる奴ばらを取っては投げ取っては投げ、姫君のおはします御簾（ぎょれん）を囲ふて立ったるは、さながら鬼女の如くなり。政盛が家の子大田の太郎、「数にも足らぬ下主（げす）女、何事か仕出ださん。アレ引き出せ」と下知（げち）すれば、声を力に数多（あまた）の家来、喚（おめ）き叫んで戦ひしが、女に稀なは働きは人間業とは見へざりけり。この勢ひに恐れをなし、返し合はする者もなく皆散り散りに落ち失せけり。

「ヲヽさもそふず、さもあらん。我が魂は玉の緒の御命恙なく、行末待たせましませ」と姫君に一礼し、「今よりは我、いづくをそこ」と白妙の三十二相の顔（かんばせ）も、怒れる眼（まなこ）物凄く、島田ほどけて逆様に、たちまち夜叉の鬼瓦。唐門楼門四つ足門。塀も築地も飛越え刎越え、刎越え飛越え雲を分け、行衛（ゆくえ）も知れずなりにけり。

★演者・時間の都合により抜き差しがあります